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全都道府県の『本立寺』(寺院総数は42カ寺)を知る
全国には「42ヵ寺」の【本立寺】があります。
「本立寺」は、全国で247番目に多い寺院です。
1
[〒097-0101]
北海道利尻郡利尻富士町
鴛泊字富士岬153番地
[地図等]
2
[〒297-0073]
千葉県茂原市
長尾899番地
[地図等]
3
[〒297-0001]
千葉県茂原市
七渡1000番地
[地図等]
4
[〒289-2144]
千葉県匝瑳市
八日市場イの2793番地
[地図等]
5
[〒292-0201]
千葉県木更津市
真里谷521番地
[地図等]
6
[〒177-0051]
東京都練馬区
関町北4丁目16番3号
[地図等]
7
[〒192-0902]
東京都八王子市
上野町11番地の1
[地図等]
8
[〒171-0022]
東京都豊島区
南池袋2丁目20番37号
[地図等]
9
[〒110-0001]
東京都台東区
谷中5丁目8番7号
[地図等]
10
[〒141-0022]
東京都品川区
東五反田3丁目6番17号
[地図等]
11
[〒221-0856]
神奈川県横浜市神奈川区
三ツ沢上町26番25号
[地図等]
12
[〒240-0113]
神奈川県三浦郡葉山町
長柄1575番地
[地図等]
13
[〒241-0031]
神奈川県横浜市旭区
今宿西町574番地
[地図等]
14
[〒251-0041]
神奈川県藤沢市
辻堂神台2丁目2番48号
[地図等]
15
[〒250-0215]
神奈川県小田原市
千代684番地
[地図等]
16
[〒232-0042]
神奈川県横浜市南区
堀ノ内町1丁目94番地
[地図等]
17
[〒243-0802]
神奈川県厚木市
猿ケ島178番地
[地図等]
18
[〒950-3322]
新潟県新潟市北区
嘉山1丁目2番2号
[地図等]
19
[〒949-0305]
新潟県糸魚川市
大字青海2762番地
[地図等]
20
[〒950-0081]
新潟県新潟市中央区
三和町7番23号
[地図等]
21
[〒930-1281]
富山県富山市
東福沢1478番地
[地図等]
22
[〒925-0137]
石川県羽咋郡志賀町
福井ロの28番地
[地図等]
23
[〒929-1103]
石川県かほく市
谷ヲ12番地
[地図等]
24
[〒910-2174]
福井県福井市
上東郷町22号17番地
[地図等]
25
[〒390-0871]
長野県松本市
桐2丁目2番17号
[地図等]
26
[〒437-0222]
静岡県周智郡森町
飯田1935番地の1
[地図等]
27
[〒410-2200]
静岡県伊豆の国市
金谷268番地
[地図等]
28
[〒466-0058]
愛知県名古屋市昭和区
白金3丁目9番15号
[地図等]
29
[〒495-0021]
愛知県稲沢市
祖父江町三丸渕郷前61番地
[地図等]
30
[〒513-0023]
三重県鈴鹿市
河田町502番地
[地図等]
31
[〒520-0511]
滋賀県大津市
南比良631番地
[地図等]
32
[〒673-0896]
兵庫県明石市
日富美町6番8号
[地図等]
33
[〒654-0005]
兵庫県神戸市須磨区
川上町2丁目2番15号
[地図等]
34
[〒689-0711]
鳥取県東伯郡湯梨浜町
大字松崎255番地
[地図等]
35
[〒731-1706]
広島県山県郡北広島町
中原872番地
[地図等]
36
[〒729-2314]
広島県竹原市
忠海床浦2丁目12番8号本立寺内
[地図等]
37
[〒796-0308]
愛媛県西宇和郡伊方町
大浜611番地2
[地図等]
38
[〒824-0121]
福岡県京都郡みやこ町
豊津字甲塚722番地
[地図等]
39
[〒849-3101]
佐賀県唐津市
厳木町天川1018番地
[地図等]
40
[〒857-0404]
長崎県佐世保市
小佐々町田原13番地
[地図等]
41
[〒861-4115]
熊本県熊本市南区
川尻5丁目7番100号
[地図等]
42
[〒891-3104]
鹿児島県西之表市
住吉1427番地
[地図等]
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【お寺の用語を調べよう】「親鸞聖人って何?」 宗祖親鸞聖人は、承安3年(1173年)5月21日(旧暦の4月1日)に京都の日野でご誕生になられる。お父さま(藤原有範と言われる)が親鸞聖人が4歳の時に、お母さま(吉光御前と言われる)が8歳の時にご逝去される。治承5年(1181年)親鸞聖人が9歳の時に、慈円の下で出家得度され、比叡山天台宗の僧となられる。建仁元年(1201年)の春頃、親鸞聖人は比叡山を下山され、六角堂に百日参籠される。その後、吉水の法然上人の下で信心決定され、弟子となられる。建永2年(1207年)、後鳥羽上皇の怒りに触れ、専修念仏の禁止と西意善綽房・性願房・住蓮房・安楽房遵西の4名を死罪、法然上人ならびに親鸞聖人を含む7名の弟子が流罪に処せられる。 建暦元年(1211年)流罪より5年後、親鸞聖人の流罪が許される。建保2年(1214年)東国での布教活動のため、性信などの門弟と共に越後を出発し、常陸国に向かう。親鸞聖人が60歳を過ぎた頃、京都に帰京される。その後は著作活動に励まられ、「教行信証」、「浄土和讃」、「高僧和讃」、「唯信鈔文意」、「尊号真像銘文」「愚禿鈔」、「入出二門偈」「四十八誓願」、「正像末和讃」「一念多念文意」などを著作される。旧暦の弘長2年(1262年)11月28日(新暦の1263年1月16日)親鸞聖人は90歳で入滅される。
詳細はこのリンク【親鸞聖人って何?】